プロフィール詳細
 

吉留健次(よしどめ けんじ)院長

整体・カイロプラクティック
動体療法基礎・応用修了
KenYamamotoテクニックベーシック、アドバンス修了
日本痩身医学協会ヘルシー耳ツボダイエット認定
オウリキュロ・ナチュラルダイエット(耳つぼ)セラピスト

小学生

4年生から6年生までソフトボールをしていました。そしてなんと!あのメジャーリーガーの福留選手とも対戦していたらしいです。
5~6年生から何故か太り始めて(お菓子の食べ過ぎかな?)家族にブタと呼ばれ気づきます。ちなみに、かなり動けるブタでした。

中学生

ハンドボール部に入部し一気に痩せる!周りからは病気じゃないの?と噂されていたらしい。ハンドボール部に入部したきっかけは、好きな子が入部したから…ダメかな?運よくレギュラーにもなれ、九州大会2回出場。そして3位の実績。

高校生

ハンドボールの実績があり推薦で入学。毎日部活の日々をおくる。レギュラーにはなれなかったが、インターハイに行けた。結果はベスト16。

社会人

高校卒業後、建築の現場監督見習いになるが、腰を悪くして2年後退社。やっぱり建物が作りたくて1年後に復帰するが腰が悪化し退社。その後2年後に手術することになる。
手術後、1週間は痛すぎて眠れない日々。寝返りすら一人で出来ない…寝返りが出来るようになっても今度は立てない・歩くことも出来ない。当たり前と思ったことが出来ない。なんとかリハビリで回復はしたものの激しいスポーツは出来なくなりました。落ち込みましたが、その反動で?何故かミュージシャンを目指し、ストリートライブやライブハウスで活動をしていました。

カイロの学校へ

手術がきっかけで体に興味が湧き、そして手術を受けなくてももしかしたら腰の痛みが治ったかもしれないと風の噂で聞きました。それが、カイロプラクティックでした。あの手術の痛みと、絶望感を少しでも他の人に味わってほしくないと思い入学。アルバイトをしながら学校に通い始めました。毎日が新鮮で楽しい日々を過ごしました。

接骨院時代

アルバイトをしながら医療関係の仕事を探しました。面接を受けるたびに言われたことは、開業されたらどうですか?そして、面接終了。悔しい思いをしました。しかし、運よく鹿児島でも凄い接骨院に入社することが出来ました。でも、正直落ちると思っていたんです。何故かというと面接で今までの不満が爆発し凄い勢いで院長に悔しさを吐き出したからです。言いたいこと全部です。しかし院長は、想いが一番大事なんだよ!といって採用してくれたんです。感謝してもしきれません。

そこで、いろいろな技術や考え方・患者様への接し方・人とはを学び一心不乱に毎日を過ごしました。更に、休みを利用して、福岡である神経学を学び、都城には、カイロプラクティックを1年間学びに行きました。最高の仲間とも出会えました。約5年務めさせていただいた接骨院を辞める時に、いつも良くしていただいていた患者様が泣いてくれたんです。こんな私でも必要としてくれる人がいるんだと初めて実感しました。更に、学生の子に手作りの色紙も貰いました。一生の宝です。

現在

平成22年6月2日によしどめ整体院を開業。

私が治療家を目指した理由

私は、小さい時からスポーツをしていました。小学生の時はソフトボール、中・高・社会人の時にはハンドボール。とにかく体を動かすことが好きでした。 当然ケガもよくしました。足首の捻挫・膝の靱帯損傷・突き指・肩が挙がらない・肘・手首などなど。もちろん治療は…していません。
建築家を目指していた当時は、体に対する知識もなく、さらに病院があまり好きではなかったので、自力・根性でなんとかしていました。が!今自分が治療家になって体の仕組みがわかってきた今、何故治療しなかったんだろう、と後悔しています。しかし、治療の研究のために今は自分で自分を治療しています。いいモデルです。

本格的に治療家になりたいと思うようになったのは、自分の手術がきっかけでした。20歳のとき、仕事の研修中にいきなり動けなくなり、呼吸さえまともに出来なくなり、そのまま病院に運ばれました。病名は第5腰椎分離症・すべり症。

3日間ぐらい四つん這いの生活をしたのを覚えています。その後は、だましだまし痛み止めの注射とリハビリを繰り返していましたが、症状はあまり変わらず逆に悪化していき、このままでは30歳ぐらいには歩けなくなるよ、と医師に言われたのをきっかけに、24歳の時に手術をする事になりました。ボルトを入れる固定術です(整体院の受付に現物が置いてあります!)。

手術は何時間かかったのかは分かりませんが、病室を出たのがお昼の12時、病室に帰ってきたのが19時30分頃だったみたいです。手術後は、痛みが強すぎて眠れない、血抜きの管が腰に2本あったので寝返りも自分で出来ない。もちろんトイレもベッドの上。想像以上にきつかったですね。同年代のきれいな看護婦さんにオムツを替えてもらうのは、かなりの精神的ダメージでした。ただただ、1日が早く過ぎて欲しかったです。

特に落ち込んだのが、ベッドの下に物が落ちたとき、それを拾うためにベッドから下りたのですが、その後立てないんです。立ちたいけど、立てないのです。必死でベッドにしがみつき、なんとかベッドの上に這い上がりました…。その時はもう2度と歩けないんじゃないかと、怖くなりました。

その後、担当医からは特にリハビリの指示がなかったので、自分で考えたオリジナルのリハビリで歩く練習をしていました。退院後も、1年間は働くこともできず、ずっと家にいたので、母親に自分で考えたリハビリを手伝ってもらい、地道にやり続けました。やっとまともに歩けるようになったときに、誰か忘れてしまいましたが『もしかしたら整体かカイロプラクティックで治療していたら、手術しなくて良かったかもね!』と言われたのです。衝撃的でした。だってこんなに苦労した手術をしない方法もあるなんて!もっと早く知りたかった・・・。

手術をされたことのある方はご存じでしょうが、想像以上に大変です。私もその内の一人です。だから1人でも多くの人を救いたい!救えるのであれば、その方法を伝えたい!この想いだけで治療家を目指しました。私は、少なからず手術の大変さや、ケガ、痛みをそのままにしている怖さを知っています。だからこそ、しつこく姿勢やストレッチの事を言います。皆さんもしっかりと自分の体と向き合って下さい。よろしくお願いします!